日本の人事担当者が燃え尽きる、5つの理由

2024年度、仕事に関連するメンタルヘルスの労災申請件数は3,780件に達し、6年連続で過去最多を更新しました。さらに、過労死等の認定件数のうち、1,000件以上が身体的疾患ではなく精神疾患によるもの。これは史上初めてのことです。

しかし、これはあくまでも表に出た数字に過ぎません。

実際には、職場でつらい思いをしていても声を上げない社員がほとんどです。毎日出社し続けて、ある日突然限界を迎える。そのとき、最初に連絡を受け、即座に対応しなければならないのは、ほぼ間違いなく人事担当者です。

世界では、人事リーダーの81%がバーンアウトを感じており、95%が「仕事量とストレスが多すぎる」と回答しています。日本でも、80%の人事部門が「管理業務に追われている」という実態があります。

では、人事担当者自身の状況を、誰かが気にかけているでしょうか。

人事の仕事には、うまく外に出せない疲労があります。

会議が多すぎるとか、締め切りを逃したとか、そういう類の疲れではありません。もっと静かな、じわじわと積み重なる疲労です。知っていることと、言えることの間のギャップ。支援したい相手と、組織として動ける範囲の間のギャップ。

人事として働いている方なら、この感覚に心当たりがあるのではないでしょうか。ただ、ほとんどの方はそれを口にしません。以下に、その理由を5つ挙げます。

多くの日本企業では、人事部への異動は評価の証とみなされます。「おめでとうございます」と声をかけられ、信頼の証、経営層に近いポジション、ある種のステータスとして受け取られます。

この認識が、一種の罠になります。

「出世コース」とされる仕事で苦労することは、感謝を忘れた証拠、あるいは実力不足の証拠と映りかねません。だから、重さは沈黙の中に積み重なっていきます。ハラスメントの調査、メンタル不調の対応、誰も引き受けたくないパフォーマンス面談。おめでとうの余韻が残るうちに、最初の難しい案件が目の前にやってきます。

ベテランの人事担当者たちは、この仕事をこう表現します。「戦略が1割、運用が9割」。組織デザインや人材育成施策、文化醸成といった花形業務は確かに存在しますが、それはほんの一部です。残りの大部分は、目立たず、静かに、物事をつなぎとめる仕事です。

黒衣。舞台上に存在しながら、存在しないことになっている役割。

スムーズに進んだオンボーディング、解決した職場のトラブル、離職せずに残った社員。これらの成果に拍手は起きません。沈黙があるだけです。認められることのない見えない仕事が続くと、それ自体が少しずつ人を削っていきます。

板挟みはどの職場にもありますが、人事にとってその重さは格別です。

ハラスメントの相談が持ち込まれたとき、人事は相手に真摯に寄り添いながら、組織として何ができて何ができないかを同時に考えなければなりません。リストラの話が進んでいるとき、人事は誰よりも早くそれを知りながら、何も変わっていないように振る舞い続けます。評価制度が機能しなかったとき、両サイドからの不満を一手に引き受けます。

社員側に立てば、経営から疑問視される。経営側に立てば、社員からの信頼を失う。どちらに転んでも、人事は双方に説明できないギャップを抱え続けます。こうした状況を、何年もかけて誰にも名付けずに背負ってきた人が少なくありません。

飲み会は日本の職場において、非公式ながら重要な場です。つらい一週間のあと、同僚と飲み、愚痴を言い、人間らしさを取り戻す。そういう機能を持っています。

ただ、人事はこの場に完全には参加できません。社交性がないからではなく、本当のことを話せないからです。誰が異動になるか知っている。全員の給与を知っている。どのマネージャーが評価対象になっているか知っている。先週誰が相談を持ち込んだか知っている。

何も実のあることを言えないまま2時間を過ごす。それ自体が、一種の孤独です。

ある元人事部長はこう表現しました。「王様の耳はロバの耳」の床屋と同じ気持ち、と。重い秘密を抱えきれず、穴に向かって叫ぶしかなかったあの床屋のように。日本の人事担当者にとって、その「穴」すら存在しないことが多いのです。

人事はストレスチェックを運用し、メンタルヘルス施策を構築し、社員が相談できる場を整備します。不調のサインを受け取り、危機的な状況の社員に寄り添い、解雇、苦情、精神的な崩壊といった重い場面での感情的な負荷を処理します。そのすべてを、何も動揺していないように見せながら。

これは感情労働の中でも、特に負荷の高い形態です。そして、その重さはほとんどの場合、予告なく訪れます。

日本では、苦しんでいる社員が早めに手を挙げることはほとんどありません。評価への影響、弱さを見せることへの恐れ。周囲も異変に気づきながら、誰も動かない。そしてある日、何の前触れもなく、その社員が主治医の診断書を持って現れ、即日休職を申し出る。人事がその事実を知るのは、対応を求められた瞬間です。

看護師やカウンセラーには、そのコストを認めた上で設計された支援体制があります。日本の人事担当者には、自分自身が感情的な負荷を吐き出し、誰かにサポートしてもらえる公式な場が、ほとんどありません。

ここで、ストレスチェックのことを考えてみてください。

ストレスチェックは組織全体をカバーします。全社員が受検し、結果は本人だけが確認します。高ストレスと判定されても、医師との面接指導を申し出るかどうかは本人の意志に委ねられています。そして、面接指導を勧められた社員のうち、実際に申し出る人は、ごくわずかに過ぎません。最も多く挙げられる理由は、「人事にどう見られるか不安だから」です。

人事担当者にとって、そのハードルはさらに高くなります。制度の仕組みを知っている。その制度を運用している立場かもしれない。手を挙げるということは、毎日一緒に働く人たちの前で、「この役割に苦しんでいる」と示すことを意味します。

ケアする人が、ケアされてない。

日本の人事担当者が燃え尽きる、5つの理由

2024年度、仕事に関連するメンタルヘルスの労災申請件数は3,780件に達し、6年連続で過去最多を更新しました。さらに、過労死等の認定件数のうち、1,000件以上が身体的疾患ではなく精神疾患によるもの。これは史上初めてのことです。

しかし、これはあくまでも表に出た数字に過ぎません。

実際には、職場でつらい思いをしていても声を上げない社員がほとんどです。毎日出社し続けて、ある日突然限界を迎える。そのとき、最初に連絡を受け、即座に対応しなければならないのは、ほぼ間違いなく人事担当者です。

世界では、人事リーダーの81%がバーンアウトを感じており、95%が「仕事量とストレスが多すぎる」と回答しています。日本でも、80%の人事部門が「管理業務に追われている」という実態があります。

では、人事担当者自身の状況を、誰かが気にかけているでしょうか。

人事の仕事には、うまく外に出せない疲労があります。

会議が多すぎるとか、締め切りを逃したとか、そういう類の疲れではありません。もっと静かな、じわじわと積み重なる疲労です。知っていることと、言えることの間のギャップ。支援したい相手と、組織として動ける範囲の間のギャップ。

人事として働いている方なら、この感覚に心当たりがあるのではないでしょうか。ただ、ほとんどの方はそれを口にしません。以下に、その理由を5つ挙げます。

多くの日本企業では、人事部への異動は評価の証とみなされます。「おめでとうございます」と声をかけられ、信頼の証、経営層に近いポジション、ある種のステータスとして受け取られます。

この認識が、一種の罠になります。

「出世コース」とされる仕事で苦労することは、感謝を忘れた証拠、あるいは実力不足の証拠と映りかねません。だから、重さは沈黙の中に積み重なっていきます。ハラスメントの調査、メンタル不調の対応、誰も引き受けたくないパフォーマンス面談。おめでとうの余韻が残るうちに、最初の難しい案件が目の前にやってきます。

ベテランの人事担当者たちは、この仕事をこう表現します。「戦略が1割、運用が9割」。組織デザインや人材育成施策、文化醸成といった花形業務は確かに存在しますが、それはほんの一部です。残りの大部分は、目立たず、静かに、物事をつなぎとめる仕事です。

黒衣。舞台上に存在しながら、存在しないことになっている役割。

スムーズに進んだオンボーディング、解決した職場のトラブル、離職せずに残った社員。これらの成果に拍手は起きません。沈黙があるだけです。認められることのない見えない仕事が続くと、それ自体が少しずつ人を削っていきます。

板挟みはどの職場にもありますが、人事にとってその重さは格別です。

ハラスメントの相談が持ち込まれたとき、人事は相手に真摯に寄り添いながら、組織として何ができて何ができないかを同時に考えなければなりません。リストラの話が進んでいるとき、人事は誰よりも早くそれを知りながら、何も変わっていないように振る舞い続けます。評価制度が機能しなかったとき、両サイドからの不満を一手に引き受けます。

社員側に立てば、経営から疑問視される。経営側に立てば、社員からの信頼を失う。どちらに転んでも、人事は双方に説明できないギャップを抱え続けます。こうした状況を、何年もかけて誰にも名付けずに背負ってきた人が少なくありません。

飲み会は日本の職場において、非公式ながら重要な場です。つらい一週間のあと、同僚と飲み、愚痴を言い、人間らしさを取り戻す。そういう機能を持っています。

ただ、人事はこの場に完全には参加できません。社交性がないからではなく、本当のことを話せないからです。誰が異動になるか知っている。全員の給与を知っている。どのマネージャーが評価対象になっているか知っている。先週誰が相談を持ち込んだか知っている。

何も実のあることを言えないまま2時間を過ごす。それ自体が、一種の孤独です。

ある元人事部長はこう表現しました。「王様の耳はロバの耳」の床屋と同じ気持ち、と。重い秘密を抱えきれず、穴に向かって叫ぶしかなかったあの床屋のように。日本の人事担当者にとって、その「穴」すら存在しないことが多いのです。

人事はストレスチェックを運用し、メンタルヘルス施策を構築し、社員が相談できる場を整備します。不調のサインを受け取り、危機的な状況の社員に寄り添い、解雇、苦情、精神的な崩壊といった重い場面での感情的な負荷を処理します。そのすべてを、何も動揺していないように見せながら。

これは感情労働の中でも、特に負荷の高い形態です。そして、その重さはほとんどの場合、予告なく訪れます。

日本では、苦しんでいる社員が早めに手を挙げることはほとんどありません。評価への影響、弱さを見せることへの恐れ。周囲も異変に気づきながら、誰も動かない。そしてある日、何の前触れもなく、その社員が主治医の診断書を持って現れ、即日休職を申し出る。人事がその事実を知るのは、対応を求められた瞬間です。

看護師やカウンセラーには、そのコストを認めた上で設計された支援体制があります。日本の人事担当者には、自分自身が感情的な負荷を吐き出し、誰かにサポートしてもらえる公式な場が、ほとんどありません。

ここで、ストレスチェックのことを考えてみてください。

ストレスチェックは組織全体をカバーします。全社員が受検し、結果は本人だけが確認します。高ストレスと判定されても、医師との面接指導を申し出るかどうかは本人の意志に委ねられています。そして、面接指導を勧められた社員のうち、実際に申し出る人は、ごくわずかに過ぎません。最も多く挙げられる理由は、「人事にどう見られるか不安だから」です。

人事担当者にとって、そのハードルはさらに高くなります。制度の仕組みを知っている。その制度を運用している立場かもしれない。手を挙げるということは、毎日一緒に働く人たちの前で、「この役割に苦しんでいる」と示すことを意味します。

ケアする人が、ケアされてない。